日本ハムのドラフト1位?斎藤佑樹投手(22)=早大=が11日、千葉?鎌ケ谷市の「勇翔寮」に入寮した。ルーキーの入寮では史上最多となる31社200人の報道陣が集結し、日テレ系「ミヤネ屋」では異例の全国生中継を行う大フィーバー。ファン300人の歓声に包まれ、新たな第一歩をしるした。会見では“持ってる男”の封印を宣言し、新たな気持ちでプロの世界に挑む決意を明かした。12日からは新人合同自主トレが始まる。
「一」と書いて「はじめ」と読む。11年1月11日。くしくもそんな日付が、斎藤にとって初めの一歩をしるす一日になった。待ち受ける鎌ケ谷の風景は、何もかもが前代未聞だった。新人の入寮にもかかわらず、日テレ系「ミヤネ屋」は実況生中継で“佑姿”を追った。あまりの喧騒に、所轄の鎌ケ谷署はパトカーを巡回させた。そして予定より80分早い午後2時40分、斎藤を乗せたタクシーが寮の玄関に到着した。
「改めてプロ野球選手として、1年目が始まるんだなという気持ち。ずっと早稲田の寮にいたので、心機一転という感じです」。無数のフラッシュとリポーターの叫び声、ファンの大歓声が交錯する中、笑顔で新たな住み家へと歩みを進めた。段ボール5つ分の荷物は送付済み。「REMOWA」の銀のアタッシェケース一つを持ち込んだ。
気になる持参品には「特にないです」と隠密を貫き、栄光に彩られたアマ時代の記念品は「全部置いてきました」と言い切った。“持
ってる男”と呼ばれてきたことにも「去年まではそういうこともありましたが、今年からは新人として頑張るだけなんで」と決別を宣言。まっさらな気持ちでの挑戦を誓った。
フィーバーは白熱の一途をたどった。集結した報道陣は、入寮時では史上最多となる31社200人。前日(10日)の日本ハムの新人2人の入寮時は5社6人だった。松坂大輔(現レッドソックス)が99年、西武若獅子寮に入寮した時でも26社75人。過去最多だった86年の清原和博、10年の雄星(ともに西武)の120人を上回る破格の人数だ。
在京キー局すべてが中継車を派遣し、テレビカメラは計18台。球団広報は拡声機を手に、事態の収拾に努めた。ファンも熱い。平日にもかかわらず早朝から集い始め、入寮時には300人が声援。“佑観マダム”と呼ばれる早大入学時からの熱心な中年女性も、陣取った。
対照的に斎藤の年末年始は平穏だった。生まれ育った群馬?太田市で旧友とふれあい、心身を研ぎ澄ました。出発の朝。実家で午前7時に起床すると、台所からいいにおいがした。母?しづ子さんの作る豚汁の香りだった。網で丁寧に焼いた好物の磯辺巻きをほおばり、故郷に別れを告げた。父?寿孝さんの運転する車で、メディカルチェックを行う都内の病院へ向かった。感謝とともに、新たな舞台への決意がみなぎった。
これからは鎌ケ谷市民になる。「自然もあって、空気もきれい。練習 ルイヴィトン バッグ 新作
に専念できると思います」。寮の門限は午後10時30分。野球漬けの日々が待っている。新天地でただ一途に、一流への道を駆け上がる。
◆過去の大物ルーキーの入寮メモ
▼巨人?松井秀喜(1993年1月14日) 羽田空港から電車で約80人の報道陣を引き連れてジャイアンツ寮に入寮。濃い紫の「ダブルのスーツ」に「セカンドバッグ」という若者離れしたファッションセンスも披露した。
▼西武?松坂大輔(99年1月9日) 26社75人の報道陣が見守る中、若獅子寮に入寮。東尾監督が視察に駆けつけ、約30分間雑談するなど、大物ぶりをのぞかせた。
▼西武?菊池雄星(10年1月7日) 報道陣120人が集まる中、コレクションの約10分の1にあたる60冊の本を持参して入寮。約1時間後に行った自主トレでは大器の片りんをのぞかせもしたが、学生服で買い物に出かけるなど私服を持っていないことも話題に。その後、寮の先輩や関係者から古着を譲り受けた。
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引用元:くろネコ RMT
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